あるべきやうわ(97.11.27)
ちょっとした機会があって,「明恵夢を生きる(河合準雄,京都松柏社)」
を読む。かねてより紹介をみてチェックしていてたのだが,河合がまだ正統派
の最中の書き下ろしで,力一杯の感じである。河合学入門とでもして半期くら
いの講義は十分できそうだ。
そのなかで,明恵のいわゆる教えのエッセンスとして あるべきようわ と
いう言葉が語られる。あるがままといった姿勢でなく,ちゃんとしていてそれ
でいて自然に,といったところだろうか。以前,十牛図 にあるような,成長
しながらそこで得られたものへの執着を消していくといった姿勢に傾倒してい
たのだが,それよりもずっとシンプルな気がする。
浅い解釈をお許しいただきたい。
昨晩のNHKの深夜再放送番組で住専の不良債権回収会社のドキュメンタリを
やっていて、ついつい見入ってしまう。
中坊公平(敬称略)という法律家がその社長で,こてこての関西弁で,
それでいてめちゃくちゃきれる。
ひさしぶりのなかなかかっこいいおやじじゃんとか感心する。
よくきれる人の関西弁は,たとえば古文のようで,標準語(現代文)より
も情報が凝縮されていてここちよく聞こえるものだ。
ただ,NHKの意図なのかそうでないのかよくわからないが,債権回収会社
のほうが,とりたてられる中小の不動産屋よりずっと立派で,社員の身なり
もちゃんとしていて,高圧的に「わるがき」を「せいばい」しているようで,
深読みしすぎかもしれないけど,そんな印象も感じられた。
完成しないソフトウエアという道具(97.10.27)
世の中には逸品や秀作と呼ばれる完成された道具が少なからず存在します。
私たちがお世話になる,ペンやちょっとした小物にもそういったものが散在
しています。
このような視点をワープロソフトや各種ツールのあるソフトウエアあるいは
アプリケーションに当てはめるとどうでしょうか。
絶えずバージョンアップと呼ばれる免罪符を発行し,
より肥大なハードウエアを要求しつづける実体が見えてきます。
最近,ふと思うのは,本質的にソウトウエアとは完成された道具に
なりえない存在なのではないかと。
それを一端のテクノロジーだといって教えることへの疑問。
そういえば,最近、意識的か必然的かはわかりませんが,
紙に文字や絵を書くことが多くなった気がします。
夏のポインセチア
私の研究の窓辺ではポインセチアが元気に茂っています。ポインセチアは 冬 の花といった印象ですが,夏の方が全然元気そうで爽快です。そう言えば熱帯 植物園のようなところでえらく大きな,だけどもどうみても,ポインセチアを 見かけたことがありました。元来暑いところの植物なのでしょう。冬に赤く なったり花が咲いたりするのは寒くて緊急事態だからそうしてるのかもしれま せん。「夏のポインセチアが好きなんだよ..」とかって話し始めるのはおし ゃれかもしらん。
握手をするということ
先日学生から,"賢い人と握手をすれば少しは賢くなるか?"
という質問をいただきました。
握手すればかしこくなるでしょうね。
お釈迦様から麻原**まで賢人の体に触れる習わしとその効果はつねに継承され
ています。
体に触れるとういことは,多分,その人の環境にもある程度近づく,あるい
は興味を持つということで,そういった姿勢はすごく単純にいうと近づく対
象が賢いとすると,賢くなる方法の1つではないでしょうか。
南極越冬隊のようなスタイル
いつのころからかわかりませんが,南極越冬隊の ような仕事のスタイルが好きなのです。多分イメージなのですが、 どんなスタイルかというと, 南極は夏 や冬は白夜やずっと夜になりますから,日の感覚が希薄で,ばーっと昼夜な く仕事をして疲れたら好きなだけ眠る,起きればまたばーっと仕事をする, といった,free runningなスタイ ル,もう遅いから明日にしようとか,朝会議があるからとかに関係なく好き なことができる。人もあまり訪ねてこないから気にしなくてもいい。