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神戸市立小磯記念美術館で
小磯良平−薬用植物画の表現が開かれる。
要チェック.
京都文化博物館で井上孝治の写真展「音のない記憶 井上孝治の世界」が開かれる。
これは要チェック。
9月20日(木)〜9月26日(水) 写真展 「音のない記憶 井上孝治の世界」 〜聴覚障害者の天才写真家が見た、昭和の想い出の街〜
自己責任(9月某日)
最近のニュースで、歌舞伎町のビル火災、 昨日は、中学生監禁中国道置き去り致死事件、 そして台風接近にともなうサーファー遭難の事故が報告されていた。 サーファー遭難はともかくとして、 先の2件はマスコミは興味本位にさわぎすぎではないか。
もともと歌舞伎町などはそれなりのリスクを覚悟すべき場所であるし、 置き去り致死事件もテレホンクラブで知り合った相手だそうで、これもリスクを負って当然だ。 台風のなか海にでるのもいうまでもないだろう。
極論すれば、被害者らは自ら危険な行為におよんだわけだから、それなりの被害をうけてとうぜんだろう。 これらの事件と通り魔のような事件とは本質が違うことをもっと認識すべきでないか。
エアチェック(9月某日):御上という信仰
構造改革の一環かどうかは定かでないが 英検に関して文部科学省が認定をやめたいとの意向に対し 英検の実行団体が反対してるとのニュースがあった。 まことに嘆かわしいことではあるが、御上のお墨付きに固執するのは なにも実行団体だけでなく、資格がほしい受験者、 資格でしか能力を判断できない無能な会社や社会側にも 少なからず見られる現象だろう。
利権構造の1つにこのお墨付きのある資格とういものが蔓延していることを もっと深く考えるべきと思う。資格はあくまでも持ち主の外観の1つであって 決して中身ではない。
資格の議論も重要だが御上のお墨付きをありがたがる構造も議論する必要があるだろう。 明治維新、第2次大戦敗戦と一見社会構造が変化したようだが 特に精神的な面での御上依存はいっこう解消されていないようだ。 市民社会の成熟期を持たなかったこの国の大きな宿題なのかもしれない。
エアチェック(8月某日): 越前屋俵太・嘉門達夫 考
月曜深夜、「たぶん今年の数字はいっているだろう」フランス語会話 の後くらいから、越前屋俵太の「職人技をたずねる」みたいな番組がある。 えせ書道家にふんした越前屋が町の匠をたずねるのだが、 その日常な視線に好感がもてる。深夜枠にしておくのが実にもったいない。
そんな中、越前屋と似たような汎用芸人に嘉門達夫がいることに気づく。 個人的にどうも「鼻から牛乳」はなじめなく、かねがねその要因を分析していたのだが、 この番組をみてその差異はこうではないかと思いつく。つまり、両名とも庶民の生活を「いじって」いるわけなのだが、 その観察位置が大きく違うということでわないのだろうか。 越前屋は対象の中に入っていく視点、嘉門は外に出ていく視点。
踏み込むにはより精神的なコストが必要になるだろう。 その皮算用が肝心だ。
エアチェック: